有失才有得
私の好きな中国語に「有失才有得」という言葉があります。
意味は「何かを失って初めて何かを得られる」です。
なぜ好きなのかというと、社会人になってつくづくそう思うからです。
-東京で働くために、地元の大阪を離れる。
-週末に仕事をしないために、金曜日に徹夜で残業する。
-次の日からの仕事に備え、友人との飲み会を早めに切り上げあげる。
どれも仕事関連ですが笑
時間は24時間、体は一つ、体力も有限です。
何もかもしたいですが、何もかもはできません。
何かを失うわなければ、何も手に入れられないのです。
大小あれど、人生は決断の連続です。
その一つ一つの積み重ねが、日々の人生となっていきます。
よく「何かをしたい」という人は結構いますが、その割には「何かを失う」という覚悟がない人がいます。
-簿記の資格を取りたいのに、平日仕事が終わってもだらだら携帯を見て過ごす人。
-ダイエットしたいのに、ろくに運動もせず高カロリーなものを食べ続ける人。
-転職がしたいのに、環境を変えるのが怖くて結局何もしない人。
しまいにはそんな自分を正当化するために何かを言い訳をして取り繕い、気が付けばそもそもの「何かをしたい」という思いさえなくなります。
失うものがなければ、得るものもありません。
いや、得るものはそこそこあったでしょう。
けれど、失うものもまたそこそこにあったでしょう。
それはそれで良いのだと思います。
何もしなかった人は、過程はどうであれ「決断をしなかった」という決断をしたからです。
そして、どう決断しようがその人の自由です。
大切なのは自分が何を失う代わりに何を得たのか、そしてそれが本当に自分が望んでいることなのかをよくよく考えることだと思います。
なぜなら、いざ現状を変えたいと思った時には既にその「変わる機会」さえも失ってしまっていることもあるからです。
なので人生の中で自分がしたいこと・やりたいことに向かって、自分はきちんと取捨選択はできているのか意識すべきです。
得たいもの、失うもの、どちらも捨てがたい時もあるでしょう。
また、どちらが正解かも分からない時もあるでしょう。
それでもしっかりと考えて、現状維持だとしてもそうでないにしても、ちゃんと自分で決断する必要があります。
そうすることで初めて人生を主体的に選択でき、後悔することも少なくなります。
一度きりの人生、どうせなら自分がしたいように生きたい。
そのためには何かを差し出す必要があるとしても、望むところです。
何かを「得る」ために思い切って何かを「失う」勇気を持ちたい。
そう思うのです。